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映画『オッペンハイマー』を観ました。

”nearly zero(ほぼゼロ)” 先週、映画『オッペンハイマー』を観てきました。期待に違わぬ、クリストファー・ノーランの映画でした。 ノーランは、オッペンハイマーという人物の上昇と転落の物語を通じて、科学者の、もっといえば人間の、探究欲や嫉妬心にはブレーキが利かないという、...

2014年1月9日木曜日

白い服の男

星新一のショートショートに「白い服の男」というタイトルの話があります。

国民の皆が憧れる「白い服に身を包んだ男」達がいました。彼らは国家の大変重要な仕事に就いていました。けれども彼らの仕事は決して、家族にも誰にも知られてはいけないとても厳しい仕事でありました。
この国には至る所に監視カメラ、隠しカメラ、盗聴器があって、国民はたとえ自宅の部屋の中であってもプライバシーがありません。そして白い服の男達は、プライバシーの中に潜むただ一つの言葉を監視していたのです。その言葉は「戦争」です。
この国は恒久の平和を維持する為に、国民のプライバシーを奪い、「戦争」という言葉を監視します。そして誰かが一言でも「戦争」と発すれば、その者が誰であっても、どういう理由で発したとしても厳罰に処し、「戦争」の芽を摘み取ることにしたのです。
それがたとえ幼い子どもであってもです。何気に「戦争」という言葉を発すれば、とたんに秘密警察が現れてその者を連行します。そして国民の集う広場に鎖で繋がれて、おぞましい者として、国民の石つぶてによって容赦なく打たれ殺されるのです。
けれども白い服の男達の本当の厳しさは、どんなプライバシーを、秘密を知ったとしても、「戦争」という言葉以外は、無視し続けなければならないということです。それが犯罪に関することであっても、妻の不貞であってもです。

このような話であったと思います。

2001年9月11日以降、アメリカもヨーロッパも監視社会へと変貌しました。そして誰もが確信無く国家への疑いを覚えていたところに、昨年、エドワード・スノーデンという元CIA職員が、アメリカの諜報活動の実態を世界に告発しました。それはインターネット上のあらゆる情報を掌握するというものです。同盟国の秘密も、企業の秘密も、そして個人の秘密も、すべてを掌握するというものでした。しかし、これはアメリカだけの行為ではないと思います。9.11以後、国家を守る、国民を守るが大義名分となって国民は監視社会を受け入れました。しかし、それはやがて権力者、支配者の強力な武器と化していきます。
そこにはきっと「白い服の男」達がいるはずです。男でないかもしれない、もしかしたら電脳であるかもしれません。彼ら「白い服の男」達は、己に対しも屈強で冷徹であるはずです。そうでなければけっして務まるはずが無いのです。私たちは、こんな屈強で冷徹な者達に監視されながら、無防備にインターネットを利用し、そして現実の社会に生きていることを肝に銘じなければいけないと思います。

そして、昨年末に国会で成立した「特定秘密保護法」です。いよいよ日本もか、という思いです。
情報に限らず何物に置いても、守り抜く、保護することは至難です。ですが、それを失った時奪われた時、誰かに責任を取らせることは簡単です。それを法律で認めたのです。真犯人でなくてもいいのです、とかげのしっぽ切り、あるいはたとえ濡れ衣でも犯人として罰してしまえばいいのですから。
そして「白い服の男」達が活躍する時代が来ます。彼らは万民を守る為に働くのでは無く、権力者、支配者の世が盤石となるために、意に染まない、あるいは意に満たない者を狩りします。

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